【日本人の宗教観】
日本人の生き方には宗教観が大きく影響していると思うので、自分を知るため、子供にきちんと説明するため、自分の現在の考えをまとめてみました。
【日本人と神道】
「神道(しんとう)」は日本特有の、古代から続く自然発生した民族宗教です。
ご存知の通り神社が神道のための施設で、日本各地に建てられています。
神道には開祖はなく、教祖もなく、教典もなく、信者になるための行為も必要ありません。
(「古事記」と「日本書紀」は神道の神典と言われ、「神話」は書かれていますが「教え」は書かれていません。)
神道は自然信仰、祖先信仰、精霊信仰の特徴を含んでいて、信仰の対象は「八百万の神(やおよろずのかみ)」です。
八百万の神信仰とは「全てのものに魂・神が宿る。だから全てのものを受け入れ尊重しよう。周りのもの全てを大切にし感謝しよう。」という考え方です。
地域によって、山に、岩に、長く生きた木に、川に、祖先に、宝具に、あらゆるものに神を見出してきました。
日本は自然災害が多いので、特に自然に対して畏敬の念を抱いてきました。
神道でいう「神」は所謂Godとは性質が違い、精霊に近いと言えます。
神道では魂の救済を求めません。地縁・血縁を守るための信仰です。
昔から日本人は春には豊作を願い、秋には豊作を感謝し、災害がないよう祈り、家族の無事を神々に感謝してきました。
これは今の年中行事、伝統文化と一体化しました。お花見もその1つです。
今も初詣では多くの人が当たり前のように神社に行きます。
私たち日本人は慣習として行動しているつもりですが、外から見たら熱心に宗教行為をしているように見えるかもしれません。
神道は日本人にとって空気のように側にあるものなので、普段は意識しません。
しかし日本人は無意識に「熱心に」神道を信仰していると言っても過言ではないのかもしれない、と言うのが今の私の考えです。
(もちろん熱心に仏教やキリスト教を信仰している方も日本にはいて、その方々はまた別です。)
【なぜ日本人は自分を無宗教と言うのか】
このように神道が身近にある日本人ですが、ほとんどの日本人は「自分は無宗教である」と言います。
これは日本人が「宗教」と認識するのは開祖や教典のある「創唱宗教(そうしょうしゅうきょう)」のみで、神道のような開祖も教典もない「自然宗教」は宗教と考えていないからです。
私の母も自身を「無宗教」と思っていますが、「そんな事をしたらバチが当たる」と日常的に言ったり、目に見えない存在がいることは当たり前のように信じています。
この感覚は外から見ると不思議に映るかもしれません。
「日本人は無宗教」という言葉だけを受けて「あなたは神を信じていないでしょう?神とは…」
と宗教勧誘を日本でされている方を見かけますが、それが日本人に響かないのは、多くの日本人が無意識に既に神を信じているからです。
【神道による日本人の考え方への影響】
上記で述べた通り、神道では「全てのものに魂・神が宿る」と考えます。
これは究極の多神教です。
つまり何かを強制したり反社会的でない限り、他宗教を否定しません。
「あなたが信仰する神も、もちろん神様なのでしょう」というスタンスです。
そのため日本ではクリスマスを祝い、お寺(仏教施設)にも神社(神道施設)にも行きます。
教会でもお寺でも神社でも、その宗教の作法に従うのに抵抗がありません。
この考え方は時に無節操に見えることもあるでしょう。
しかし根底には「全てのものを受け入れ尊重する」神道の考え方があるのです。
この考え方は今の日本人の考え方にも強く影響しています。
多くの日本人は自分と違う意見や文化を否定しない傾向があります。
そして良いなと思う点があれば積極的に取り入れたいと思っています。
この考え方で他国文化をすぐに取り入れ日本流にしてしまうのです。
自分の意見を通したい時も、「あなたの言うことは一理あるけれど、こういうのもどうかな?」と強い否定の表現を避けます。
このように日本人は自分と違うものを受け入れ易く、同時に非常に和を尊ぶようになりました。
しかし自分が否定しない分、直接的に否定されるのは嫌がる傾向があるようです。
多神教と親和性が高く、一神教と親和性が低いのはこのためです。
結果日本に仏教は根付きましたが、キリスト教は根付きませんでした。
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長くなったので今回はここまで。
次回は
*なぜ仏教は日本にここまで根付いたのか
*日本人は教典なしに善悪をどのように判断しているのか
*神道は宗教として未成熟か
などについての考えをまとめてみようと思います😊